【今更聞けないオトナの話】円山町ってどんな街?
【今更聞けないオトナの話】 円山町ってどんな街?
(maruyamacho.net様より http://maruyamacho.net/about-maruyama)
こんばんは。
しばらくブログ更新が滞っておりましてスミマセン。。
時が経つのは早いもので、今日から「師走」、2016年も残り1ヶ月となりました。
街もだんだんクリスマスムードに染まってきましたね。
さて、今夜は本ブログでもたびたび登場している「円山町」について紹介してみたいと思います。
みなさん、「渋谷」「円山町」と聞いてどんなイメージを持ちますか?
ーークラブが多い? 若者の街? ちょっと怖い?
今夜は「円山町」について、そのオトナな一面を深掘りしてみたいとおもいます。
1. 円山町ってどこ?
さっきから、円山町とか言ってるけど、そもそもそれどこだよ!という読者の方のために位置を説明したいと思います。知ってる方は読み飛ばしてくださいね。
(Google Mapで表示)
こちら、赤色に塗りつぶされているのが円山町です。
JR渋谷駅からは少しだけ離れているんですね。
2. 円山町の歴史
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」
これはドイツの名宰相オットー・ビスマルクの言葉です。
円山町はそもそもどのように発展してきたのかその歴史を振り返りましょう。
【江戸時代 〜宿場町として〜】
円山町は江戸時代から大山街道の宿場町として栄えていました。
【明治時代 〜花街として成長〜】
明治18年(1885)に「澁谷駅」が開業しました。これにより以前より人の流れが活発になります。 円山町が花街として知られるようになったのは、明治20年(1887)頃、「宝屋」という芸者屋ができたのが始まりだと言われています。
【大正時代 〜花街として飛躍〜】
円山町は大正2年(1913)には、 芸妓置屋24戸、芸妓60名、待合茶屋13戸をもつまでに成長し、
大正10年には、さらに芸妓置屋137戸、芸妓402人、待合96軒、芸妓420名を数えるほどにまでなりました。
【昭和時代 〜「円山」の誕生〜】
実は、この頃までは「円山」という呼称は存在していませんでした。
残念なことに、その後は時代の流れとともに花街としての勢いは失速し、現在でも残っている料亭は「良支」と、「おでん割烹ひで」、「料亭三長」、「割烹三長」、「円山町わだつみ」の5軒だけとなってしまいました。
このように、花街として発展してきた円山町だけあって、現在もその名残からかラブホテルやクラブなど、「オトナの街」というイメージが根強いんですね。
3. 円山町での遊び方
「オトナな街」である円山町での遊びというと、どうしてもホテルなどのイメージが強いと思います。(実際、ホテルは多いので利便性は高いです)
しかし、今日はせっかくなので、それ以外の円山町の魅力を紹介します。
【ミニシアター】
大手映画館では上映しないような、厳選された映画を掛ける映画館があります。
【洒落た飲食店】
静かな裏道に入ってみれば、おしゃれなカフェバーや、二人の距離を縮めるのにぴったりの鉄板焼き屋さんなど、渋谷の喧噪から逃れてゆっくりできる場所があります。
過去の記事でも紹介しておりますが、雰囲気の良いお店が多いのもこのエリアの特徴ですね!
【お座敷遊びができる?!】
現役の芸妓さんは5名いらっしゃり、『藤むら』、『おでん割烹ひで』、『料亭・三長』が窓口となっているようです。興味のある方はいかがでしょうか?
おわりに
「円山町」、「渋谷」でデートと聞くとたいていの女子は「うるさい」とか、「学生の街」というイメージを抱くのではないでしょうか?
そんな心情の女の子に対し、スマートにおしゃれなデートを成功させたら、
きっと女の子はあなたのことを
「素敵なデートができるオトナな男性だ」
と思うはずです!
円山町は、粋で、おしゃれで、おいしくて、楽しい町。
20代後半からの大人がゆっくり楽しめる町。それが今も変わらぬ円山町の特徴といえそうです。
読者の皆さんも、オトナの魅力溢れる円山町でのデートを楽しんでくださいね!
ーー関連記事ーーーーーー